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*『この世は悪意に満ちている』ノーカントリー感想

 なんというか非常に味わい深い映画だけど、アカデミー受賞作だからオススメってわけでもない気がする。ちょっと色々思索する作品。

もともとアカデミー賞を取るような映画は一般観客と相性がいいとは限らない。
もちろんそうでない作品もあるけれど。
だがこの作品は人の痛いところをつくので、そこがそういう事に関して興味の無い人にすすめていいのだろうかと困惑する。だが映画をよく観る人なら観た方がいいと思う。映画好きなら避けては通れない。そんな感じがした。もちろんそれで感じる事はイイも悪いも自由。

話は単純かつシンプルだけど決して予定調和では無い不協和音が常に流れている。
観終わったあと、座り心地が悪くなる感覚を味わった。
だがそれでこの映画がダメということではなくむしろ、これはそういう部分を狙っているわけでその部分でもしっかり見込み道理なんだろうなと思った。

実はコーエン兄弟監督の作品を今までは食わず嫌いならぬ観ず嫌いなため(理由はなんとなく『おされ』だから(苦笑))だが傑作『ファーゴ』は観なくちゃならないなと強く思いいきなりamazonのボタンをポチっとなと押してしまった。
というか借りればよかった(^^;<オレ

この作品で一筋縄でいかないなと思ったのは人がどんどん死んでいくところ。
なかでもバビエル・バルデムの演じる殺し屋シガー。彼が振りまく死はそれを一層深く印象付ける。

一度観ると忘れられないその姿。今まで色んな映画でいろんな殺人者が出てきたが、その不安感はそれらの名だたる殺し屋に名を連ねるにふさわしい。サイコパスとしては多くの人がハンニバル・レクター博士を上げるだろう。だがシガーはレクターとは違った空気をまとっている。
レクターはインテリでクラシックを好み、美食家でもある。経験豊かな精神病理医でもあり患者たちの尊敬をうけていることもあった。だがシガーにはそういう部分は無い。
どちらかといえば最初からアンダーグラウンドの住人であり組織から金の回収を請け負い行方を追う。手練れではあるが、障害物は排除し目的のために手段を選ばない。
だがただ闇雲に殺して回るのではなく本人にはあるルールがある。その部分はレクターと同じだけれど、しかしそれはそのルール外の人から見てば全く関係ない。この世の理と違うルールで動いている。レクターも最初はそういう部分があったが最近は何故そうなったか?という部分(これは原作者のハリスも映画化された『ハンニバル』で書かれている。この部分は『ハンニバル・ライジング』の叩き台になっている)が描かれてしまい、『同情するべき点』というのもが提示されダークヒーロー化してしまった。それに対しシガーはただの殺し屋として不気味に佇んでいる。


、原作者のマッカーシーは『純粋悪』と指摘している。そういう意味ではシガーは『ダーティハリー』スコルピオに近い。(背景の分かりにくさは『コラテラル』のヴィンセントもそうなんだけど彼は無闇に殺して回らない。変な話だけれど理屈が通った恐ろしい殺し屋だ)
もっとも『ダーティハリー』のスコルピオはその時代に西海岸を恐怖のどん底に叩き落した連続殺人犯『ゾディアック』をモチーフにしているが、格好は明らかにヒッピー。(ご丁寧にベルトのバックルはピースマーク)ようするに年寄りが『今の若いもんは!』という意味も込められている。(いささか乱暴だけれど)そういう部分が投影されている。
シガーも悪意がカタチになって歩いているようなもの。だが彼の場合はもっと根源的な、ヴィンセントの事を理屈が通っている恐ろしい殺し屋と書いたが、シガーは『理屈の通らない』『理解できない』悪意だ。人はそういうことに対峙したとき恐れ、困惑する。だからベル保安官(トミー・リー・ジョーンズ)は幽霊と言ったのだ。そして自分の対峙したものはなんだったのか、困惑し老人に教えを請う。そして老人は過去の出来事をひいて、今も昔も変わりは無い。人の悪意とはそういうものだと諭す。

この物語はスコルピオのような悪意の塊がいたとして。ハリーのようなそれこそミスターノーボディが対峙する寓話ではなく(おいらはそういう寓話が大好きだけれど!)、普通の人々がその悪意にさらされた時。そこでどう感じるのか、考えるのか?そういう物語だと思う。

実は逃亡する者、それを追う者、さらにそれをまた追う者の物語として語られているため間違いやすいが、冒頭ベル保安官のモノローグから入ることで分かるように、この物語はベル保安官の物語であり、彼の扱った事件(ケース)の一つを取り上げそこで蠢く想いや悪意を切り取り、断片的ながらもそれに触れてしまったベル保安官がそれぞれの人生の断片をすくい上げ自分の生き方に迷いながら、だけどそれでもこれが人の営みだと再確認する話だと自分は理解した。





軸足をベル保安官にとればこの映画の言いたい事がおぼろげながらつかめるんじゃないかなと思ったけれど、ベトナム帰還兵であるルウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)も色々示唆に富んだ人物。テキサスでトレーラーハウスに住むプアホワイトでテキサスの荒野でハンティングをしている時に(ちなみにココでの動作で彼は銃の扱いに非常に手馴れていることが示される。この部分は映像が雄弁に語っているところ)彼が砂漠での殺し合いシーンを見ても動じながらもライフルを構え油断せずに近づいていくシークエンスなどもそう。
で物語の流れで、ベトナム帰還兵ということが示される。で住んでいるのはトレーラーハウス。奥さんは若く、生活は裕福ではない。ならばヤバイ金を拾うのも当然。もちろん拾わない選択もありだが。この辺りはアメリカの物語お得意の『選択』の部分。
どちらかをチョイスしなくてはならない場面で良かれと思って選択したことが・・・。

そしてモス自身も『水をくれ』と言った死にかけた麻薬密売人が気になり出かけなければいいものを行ってしまう部分に彼の人の良さも彼に感情移入しやすくしているが、だからこその結末につながっているわけで、この辺り上の部分も含めてだけど
これはほぼ原作どおり。

実は原作を読んでいてというかこの映画が来る前に買っていたのが、積読になっている間に映画公開、なんとか全部読み切っての鑑賞(^^;
でどれだけカットしているか、やはり原作の方がと思っていたらどっこい、かなりのストレート。
もちろん細かい部分や枝葉落としているがこれほどとは!

読み切った時の思った読書感想と映画鑑賞が重なることは稀だけどこれは結構一致した。
そういう部分でもコーエン兄弟は原作ものをしない人だというが、そこでコレとはただただ脱帽。

都合よく女性キャラクターに変更したり、話の筋をころっと替えたりというのがよくあるけれどここまでなぞっての作品は正直に感服したことを付け加えておきたい。

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by tonbori-dr | 2008-04-27 15:18 | Movie