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*10万の敵と戦うだけでは・・・『墨攻』感想

実は原作漫画途中までしか読んでいないので結末がどうなったのか?(梁の運命)は知らない。なのでこの映画の通りなのか、それとも違うのか?それが気になった。

というのも原作にはいない登場人物がいるんでなんとなく結末もちょっと違うのかなと。例えばファン・ビンビンが演じた逸悦。このキャラクターはオリジナルだろう。というか原作では革離と仲良くなる女性はいても軍人じゃなかったと思う。どちらかというと市井の人で小さな妹を気丈にかくまう姉が出ていたがそのようなキャラクターの娘がいた気はする。(うろ覚え)

本作は、中国で撮影され香港、大陸、韓国、台湾のキャストに音楽は川井憲次、他にもスタッフはアジアの各地から集められた。映画はともかくこういう混成軍団的な試みはこれからもやってほしいし色々意思の疎通や言葉の問題、考え方の問題があるけれどいいことじゃないかと思う。

思えばこれこそが墨家的な『兼愛』じゃないか?と思う。出来ればそれは映画で感じたかったけれど(^^;




なんだろうかまあちょっと先に書いたとおり原作と結末が違うのかなと。そこが一番気になった。

ただ最初の革離が粗末な身なりで梁の城に現れるところはそうだったと思う。
でやってきた革離は趙が助けを請うための符丁のようなもの(印か杖だと思うのだが)をもっておらずあきらかに怪しいと懐疑の目を向けられるのもそうだったような?

だけどなんだかここまで盛り上がりにかける。
アンディ・ラウ|劉 徳華が悪いわけじゃないんだけれど。
城攻めシーンは迫力があったが、こういうシーンは溜めた後にどーんとやるべきものだけどなんせ話が長いので結構前半に10万の兵相手に革離がその能力を駆使して城を守りぬくシーンをもってこなくちゃならない。そしてそれよりも(画的には迫力よりも)うねりのあるシーンを持ってきてほしいのだがまああるにはあるんだけれどちょっとテンポが殺がれている印象。個々のパーツはいいのになあと思いつつラストへ向かう。
この物語の少し後の時代となる『HERO』(キムタクのではない)では全編に散りばめられたカラフルな色がシーンのテンポを産み出していたが『墨攻』ではそういう技も無く延々同じ感じ。まあそれはそれでいいんだけれどどうもシーン同士がちょっと噛み合っていない気がした。

『300』などは神代の時代なのでCGのうそくささがいい感じになっていたが(それは制作者も狙ってただろうし)この物語も伝説の時代の話とは言え、そういう絵空事では無い部分。もっと地に足の着いた人の話なため、ちょっと説教くさいのがそういうダイナミズムを失ったのか。

多分それは墨家の教えと墨守との間で揺れ動く革離の描写があまりにも華が無いのでもってこられた逸悦とのエピソードでちょっとぶれてしまったのか?そう考えると残念。

ただ役者陣には満足。アン・ソンギ|安聖基、四大天王のアンディ・ラウ相手に一歩も引けを取らず貫禄充分。やはり渋い親父がでると画面がかっこいい。
そしてアンディのお相手、ファン・ビンビン|范冰冰、いいんじゃないですか(笑)可愛いし。やはりむさい男の映画に華一輪はいりますよね、みたいな。

しかし結末がいかにも中華風。このあたりはちょっと衝撃的ではあるのだけれど華流映画では割とデフォルトであるのではあるが。

しかし、10万の軍勢に対し僅か4000の城兵をもって戦う。非攻、兼愛このあたりの思想というか考えがよく解らなかった。いや解んなくたっていい(ちょっと暴論だけど)結果画面から主人公たちの行動を通してそれが解れば。残念ながらちょっとそういう部分は弱かった。色々大変なのかもしれないけれどその部分がこの映画が『墨攻』の墨(墨家の教え)の根本たるものだったし、し武侠映画では攻めるのでなく無駄な戦いは避け挑まれれば戦うそういうことじゃないんですか?なんて思うのだ。この映画もかろうじて感じとれたところもあるだけに消化不良感の残った映画だった。

「墨攻(ぼっこう)」の映画詳細、映画館情報はこちら >>

追記:そういえばアンディ・ラウはあまり日本に対して心いい印象を持っていないとウィキペディアにあったが、そうだとすると日本人が原作を書き日本人が漫画化し製作陣の日本人がいるプロジェクトによく出ましたよねってことにならないか?と考えたが仕事は仕事としてベストをつくすとも書いてあるのでまあ矛盾はないか。
でもなんかひっかかる書き方だなあとちょっと思ったので付記しておきたい。
アンディ・ラウ - Wikipedia

by tonbori-dr | 2007-09-09 20:59 | スルー映画祭り