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*ZODIACという時代

そろそろ、とりあえずの感想をまとめておきたい。
『ZODIAC』

この映画は今年観た映画の中ではベスト1の面白さだった。

元々フィンチャーの作品といえば『エイリアン3』『セブン』しか観ておらず(白状すると『ゲーム』も『ファイトクラブ』も観た事が無い)観に行こうと思ったのは『ダーティハリー』の元ネタ(スコルピオが当時サンフランシスコを騒がしていたゾディアックキラーを意識しているのは有名な話)だということを知っていたから。
つまりは元ネタになった話をどうしているのだろうという好奇心からだった。

なので実はそれほど期待していたわけじゃないのだが‥‥

観る前は、上映時間が長いなあと思っていたが幕があいて観始めたらあれよあれよという間に、画面に引き込まれていき結果2時間37分が過ぎたのも嘘のようだ。

本当にいたずらにただ刺激的な画を並べただけで長い映画ではなく一つの事件の発生から終息していく様とそれに取り付かれた人間たちを描写するにはこの時間が必要だった。
実際ディレクターズカット3時間版が出たら観そうだ(笑)それぐらいに密度が濃い作品だった。

だが著しくこの映画は観る人選んでしまう。なぜならこの映画は実際に起こった殺人事件とその犯人の起こしたことを描いており脚色されながらも事実に則しているためその結末に不満が残るかもしれないからだ。そういった映画を観ることに慣れてしまっている人たちには結末がスッキリしないだろうし元より時間も長い。そんなわけでこの作品は万人に受けるようには出来ていない。

しかし人によっては嵌ってしまう。そう謎が大好きな人々。またそれも沢山いるのだ。でなければ未解決事件を取り上げるTVヴァラエティショーは作られないだろう。事実この『ゾディアック』の原作者、グレイスミスの原作本を基にしているヴァラエティーショーが日本でも制作された。『奇跡体験アンビリーバボー』でこの事件を取り上げこの映画の肝となる部分も放送していたはずだ。

そうなるとおいらはかなり変わった部類になる。つまり『ネタばれ』している状態で(しかも1時間番組で確か3週に渡って紹介されたと思うが実質45分程で収まっている話を2時間37分も観て、それでもこの映画は傑作だといってるんだから!



この映画は監督の思い入れが見えてくる。1970年代当時の空気を当時へと替えようとしそれにこの作品は成功している。出てくる登場人物の格好、風俗、ets。劇伴も当然その当時の音楽がラジオから流れDJもその当時の調子でしゃべる。
流行やその他は当時の空気を雄弁に語る。そうして観ている人間は当時の空気を感じ取りその裏で何かが蠢いているのを感じることになる。この映画が優れているのは事件がゾディアックという事象になっていく様とそれに翻弄される登場人物たちという構図がその70年代アメリカ、カリフォルニアに嵌っているからだと思う。

ゾディアックが犯した殺人は他のシリアルキラーより少ないと言われている(パンフレットで監督がインタビューに対しそう答えている。)それなのに何故切り裂きジャックのように現代の犯罪史に名前を残しているのかといえばこれも監督が指摘しているが一般的に劇場型犯罪といわれる犯行声明や犯行予告をメディアに露出し大衆の注目を浴びることだろう。それまでの犯罪者は日陰者、お天道様の下は陽がまぶしくて出られないというのが大衆の共通認識が自らの犯行を新聞に送りつけそれを新聞に載せろという行動がそれまでに類を見ないものだったからだけど、事この作品において彼の正体はそれこそ重要でない重要だったのはゾディアックを巡る人物たちののめり込み具合で当然ではあるが事件を追う人たちにも人生があったということだ。

その彼らはまるでゾディアックを追っているときは猟犬のごとく喜々としている。まるで『ねえ、気がついてる。あなたゾディアックの話をするとき何でかとても嬉しそうな顔してるわよ』という感じだ。とくに後半、グレイスミスがトースキー刑事に得意気に自説をぶつける場面などは特にそうだ。『え、そりゃあぶないな。本当に』とはグレイスミスは言わない。まるでHOSに取り憑かれた遊馬のように一心不乱にますます事件にのめりこむ。

そしてそれを観た我々はそうやってのめりこんでいったグレイスミスたちの顛末を追い続けながら彼らの観た事、感じた事を体験させられる。
そしてそれは彼らがゾディアックを追った年代記(クロニクル)だったと解る。

だからゾディアックに囚われすぎると瑣末な部分に目が行ってしまいそういう構図が見えにくくなるんだろうなあと思うのだが。

だがクロニクルであるこの映画の主人公グレイスミスやエイブリーの勤めている新聞社が『サンフランシスコ・クロニクル』かとここまで書き上げてなんという暗合だ!と思ったがまあそれほど驚くことでもないのだろう。

それと同じ悪意を持つ存在がもっとはっきりしているボン・ジュノの『殺人の追憶』は2人の刑事に絞り込んでいることと最終的に犯人が捕まらない部分は同じだしあの作品も当時の雰囲気を切り取ったその年代の年代記ではあるのだが犯人の悪意がよりストレートでさらに痛々しいものがある。どちらが上とかそういう話じゃなくあきらかにこれは演出した監督とお国柄のカラーの差だなと思う。

あと『ダーティハリー』が何故リベラルから嫌われたのかとか映画の端々に散りばめられているネタ(スコルピオ=蠍座、ゾディアック=黄道十二宮(12星座)やスコルピオが新聞に案内広告を出せという新聞が『サンフランシスコ・クロニクル』であるところやクライマックスのスクールバスジャックなど)は非常に勉強になった。

その『ダーティハリー』も物語中盤で警察関係者たちやメディア関係者を招いた試写会(実際にそういうことがチャリティーも兼ねて行われたそうだ)のシーンで出てきた。
そして映画が終わった後でトースキーに『デイブ、ハリーに任せろ』なんていうシーンが出てきた。このシーンは実際に関わった人たちにはやはり簡単では済まない事だったということが解るシーンだったことを付け加えておく。(それでも『ダーティ・ハリー』は傑作だと思っているけれど)

最期に某所で押井二ストにはこの映画親和性高いんじゃないかなと思ったと書いたらこういうレスがついた。
これはパトレイバー劇場版の松井刑事と部下の若い刑事との会話なんだけれど。

『見せたかったんじゃないのかな。餌に釣られて調べてまわる人間、つまり俺たちに』
『見せるって、何をです。何のためです』

その返しとしてはもうこれしかない。

『それを知るためにも、もう少しつきあうしかなさそうだな』

「ゾディアック」の映画詳細、映画館情報はこちら >>

by tonbori-dr | 2007-07-21 22:48 | Movie