あの敗戦を描くことはまだ難しいのか。
エキサイトの本家ブログでTVでみた映画『男たちの大和』の感想を書いた。
web-tonbori堂ブログ : 日本は未だ戦後である『男たちの大和/YAMATO』
そこでちょっと思ったことを書いたんだけれどこちらに再掲載しておきたい。
色々戦後に太平洋戦争や第2次世界大戦を描いた映画が日本でも作られてきたが、いくつかの例外とよっぽどなことが無い限り、反戦、厭戦な映画となる事が殆どだった。
今回の『男たちの大和/YAMATO』もその流れにあることは明白。
もちろんバリバリに反戦だぜというわけではないが。やはりそこは重要なんだろうし、今更あの戦争は正義の戦争と言われても思いっきり違和感がある。
なんだかんだといっても戦後の教育を受けてきた者たちにとって、あの戦争は負けた戦争で『悪い戦争』だったし、二度とあのような事を繰り返してはいけないという認識は刷り込まれているのだから。とはいえ、あの戦争を忘れちゃならないし多くの人がその命を亡くしたということも忘れちゃならないという今の風潮で言えば人道的な見地にたっているなと強く感じる。
しかし疑問に思うんだけど、何故あのような馬鹿げた作戦が実行されたのか(菊水作戦)、それ以上に特攻、開戦、インパール作戦、カダルカナル撤退、真珠湾攻撃など成功、失敗のも含めて何故作戦が成功したのか?何故失敗したのかという映画はほぼ撮られていないなというのも改めて感じた。
例えば海軍では特攻作戦に対し懐疑的であったという話もよくあるし、その他の映画、TVでもよく語られているのは真珠湾攻撃は成功し、その後南方への進出も上手くいったが戦線の拡大と、ミッドウェイでの敗戦を機に日本の形勢は劣勢となりやがては2発の原爆によって終戦、そして敗戦を迎えたということくらいである。
最近ではNHKを初めとするドキュメンタリー番組で幾度か、何故日本がアメリカに宣戦布告をしたのか、という部分も突っ込んで放送したりするようになったが、まだまだその部分を映画化するには至っていない。
もちろんそれがエンタテインメントとして、映画芸術として消化しきるには時間がかかるのかもしれないが、そこに人が絡んでいる以上、絶対にドラマはあるはず。
だからそういう戦争映画が出てきてもいいんじゃないかなと思うのだが。
例えばゼロ戦などでも初期から後期のゼロ戦の変遷と、アメリカ軍の戦術の変遷とマスプロダクションによる物量との戦いで日々。それを一種淡々と描いても、そうとうなドラマになると思うのだが、やはりそれは不謹慎なのだろうか。
日本が正義でもなく、かといってアメリカが正義でもない、『硫黄島からの手紙』を観た後、こういうスタンスで日本でも映画が作れればと思ったのだが、出てきたのが『男たちの大和』だったことで、正直やはりまだまだ日本ではあの戦争は感傷と共に語られるものなんだなと感じた。
それは『出口のない海』もそうだし、その他の映画でもそうだ。
もちろん市井の人たちが空襲にあって運命がおおきく変わってしまう映画ではどうしてもそうならざえるを得ないなと思うけれど、軍という組織と、日本という国が何をして、何をしなかったのか?ということを語る上でそういう手法もあっていいと思う。
この作品は終戦の日の1日を追った作品だけどかなり自分の思っている感じに近い。
ただ喜八監督は思うところがあったそうで『激動の昭和史 沖縄決戦』という作品を新藤兼人氏の脚本で撮ったそう。そちらはまだ未見なれどそちらも観てもう一度書き加えたいと思っている。
by tonbori-dr | 2008-09-24 22:31 | 私声妄語


