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福岡の自殺事件で思う

Excite エキサイト : 社会ニュース|<福岡いじめ自殺>発端は学年主任の「いじめ発言」繰り返し [ 10月15日 20時40分 ]毎日新聞社
正直なんで死ぬのか?といつもこういう自殺のニュースを見るたびに思う。
それは中学生でも大人でも同じ。けれど死ぬには死ぬだけの本人しか知り得ない理由があってそれについてはあの世まで死んだ本人が持っていってしまっている以上解らない。

遺書を残している場合(この件でもメモが残されているという)でもその遺書にどれだけの真実がこめられているのか?もしかすると彼にとっての心の叫びだけかもしれないしそれさえも解らない。
残されたものがそこから類推するだけだ。

今回の件では自殺の原因というか発端は教師にあったという報道がながされている。
実際件の教師は記事によると以下のようだ。
両親がこうした教諭の言動がいじめ助長につながったのではないかと迫ると、合谷校長は「そう思います」と答えた。

 両親との面会の後、中原教育長は報道陣に対し「校長から今朝、(1年時の担任教諭の)発言内容を聞いた。教師によるいじめがあったと判断している」。学年主任は「一生かけて償います」とうつむきながら謝罪した。

教師としてどう責任とるというのだろうか?よく解らない。
そしてここからは半ば独り言のようなものであるので特にどうといわれてもそう思うだけなのでご了解していただきたい。



どっちにしろ自殺してしまってはそこでぷっつり糸が途絶えてしまうのでそれ以上をどうこうすることは誰にも出来ない。
当事者に近い、例えばいじめをしていた連中。彼ら彼女らはその中でまた誰かをいじめの対象にすることによってその対象は自殺するかしないかは別にして平衡を保とうとするかもしれない。
暫くの間はうなされるかもしれない。だが本当の責任というモノを感じているのかどうか?気になるところだ。

大人たちがエリを正す。これもまあいいだろう。だが大人たちが安易に子供達におもねった結果のような気がしないでもない。今のところ新聞報道の文字面しか見てないので詳しいことは解らないがもしかするとこの先生、子供達には人気があったかもしれない。冗談の言うくだけた先生と。
もちろん大多数にすかれていても一人のスケープゴートとひきかえにそれが保たれたとすれば問題だが。

それと毎回思うが親はなんでシグナルを受け取れないのか?それはこれだけでなく他の例でも解らない。いや家庭の事情なのだろう。だがそれを言うなら全ての家庭に事情がある。なにもそこだけではない。
我が子を守れるのは赤の他人の先生ではなく最後は親なのだから。
だがネグレクト、児童虐待が当たり前のように行われている今は親さえも守ってくれるべき存在ではないのかもしれない。そう考えると子供達も不憫だが家族という単位が最後の砦なのだから救い上げるセーフティネットは国に任せていては絶対にいけない。
国はそういう環境を作り出さないようにする責任は負っているが(国家が国民を守るための義務として)家族という単位を守るのはやはり家族なのだ。
いつもこういうニュースを聞くたびに思う。

by tonbori-dr | 2006-10-17 00:26 | 私声妄語