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*空気を撮るという事『劔岳 点の記』感想

そんなわけでかの名キャメラマン、木村大作の初監督にして最後の監督作品(と本人が言ってるらしい)『劔岳 点の記』。

先の連休最終日に行って来た。朝上映の1回目(終了はお昼)にも関わらず結構な入りで七分の入りだった。ハリポも始まっていたことを考えればまずまずの成績じゃないだろうか。

公開前から、実際に山に籠っての撮影とか期間をかけてということを聞いていたけど、やはりそれなりに映画業界に名前が通っている木村監督ならではだよなあと思った事を思い出す。そして氏自身もそれはよく分かっているからこそ、浅野忠信、香川照之というキャストを揃えたのかなとも思ったけれど、果たしてどうだったのか。

ぶっちゃけて言うとストーリーは簡単。明治39年、日本地図の空白地を埋めるためと共に軍部の面子のために参謀本部隷下の陸地測量部の測量手、柴崎に剱岳への三角点の設置が命じられる。剱岳は民間の日本山岳会のアルピニスト達も登頂を狙っており、軍部のプレッシャーの中、地元の山岳案内人、宇治長次郎のガイドの元、困難を極める『死の山』と言われ信仰の対象にもなっている剱岳の登頂に挑むというお話。

もちろんそこには色々あるけれど基本はシンプル。突然の大雪崩でクレバスに一行が落ち込んだり、ザイル1本でオーバーハングから滑落、切るかそれとも?なんていう山岳映画ではよく見られるシーンは無い。それでもこの映画がすごいなと思うのは、単純にそこが本当の場所で、本当に『剱岳』で撮影されたからに他ならない。

そんな事でと思う人もいるかもしれないけれど、今の時代、ある程度の山岳地で、もちろん天保山とかそんなところじゃなく、そこそこの山で撮るとは思うけどあればどのようにも合成できちゃう。最悪セットを立て込み、いやブルーバック合成だってやってのけちゃうぞ(笑)みたいな。

だからといってそれが悪いわけでもないんだけれど、やはり『劔岳』という題名からも分かるようにある意味、この山が主役といっても言いわけで、だからこそそこへ行って撮るということが大事だったと思う。

しかもそういう部分にこだわりを見せたのが功を奏したのか、普通なら松田龍平の芝居とか、おめー全然、明治じゃねえぞと目くじらたてちゃう部分もその雰囲気というか空気がちゃんと明治している。恐るべし木村大作。
もちろん個々を見れば噴飯モノなんだけど全体をきっちり明治の空気をだしているのはきっちり剱岳という山を舞台に、それに挑んだ人々を愚直に追ったからこそじゃないだろうか。(本当にそこでロケしたことも含め)

別に上海とかまでいかなくとも、そういう事できっちりと空気って出せるのよねと。
実のところ時間と工夫と対象とちゃんと向き合えばTVドラマでもコレは可能なんだけどまあ、これは余談。

でも昔はこういう空気を纏った映画ってあったんだけどなあ。単純に撮ってる人だけの問題だとするとかなり問題な気もする。

そういえばこの映画、フジがいっちょ噛んでいて、パンフに亀Pこと亀山千広が木村監督をリスペクトしていたとかなんとか。そういう人がいると資金集め的にもコレはいいよねーとか思った。コレは嫌味でも何でもなくタダでは映画は作れないから。この映画も大掛かりなセットとかそういうものは使われていない(明治の街並みは明治村とかでロケしている)でも繰り返すがタダでは映画は出来ない。最近TV局制作の流れを見るにこういうパターンも使わないと。もっとも内容だけでなく監督とか他の制作幹事とか色々あるけど。
そんな諸々を含めてラストにエンドロールに『仲間たち』といれたのはああシャシン屋さんのメンタリティだけではない色々な思いがあるのだなと思った。


キャスト的にはやはり長次郎を演じた香川照之が存在感を放っていたけど、主役の芳太郎に浅野忠信を持ってきたのは面白いなあと思った。普通そこはもうちょっとアクの強い人じゃないかと思ったけれど、案外あのような飄々としたくらいの人が山でも結構タフなんだよなあと妙に納得したし。

後のキャストで言えば拓ボンの息子さんがまんま拓ボンで噴いた(笑)いやこれはマジです。というより蟹江敬三の息子さんが渡辺謙の息子なみにイケメンだということを再認識した(爆)

他は友情出演っぽい扱いだけど実際に山に登ったクルー、キャストは本当に大変だったろうなあと思う。

何かが起こる映画じゃないけど、その映像が雄弁に語る映画だと思う。最近の邦画に足りなかったものを思い出させてくれる1本。

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by tonbori-dr | 2009-07-23 00:02 | Movie