今週のエウレカセブンを観て

日曜は出かけていたので先ほどレコーダーに録画したやつを観る。
今回はいわゆる決意と選択ですか、そうですか。
でコーラリアンとか機体とシンクロとかまあそういう事があれですよねということで(まあぶっちゃけていうと『エヴァ』だが)最近ネタにもあがらないというかそんなに盛り上がっているのかいないのかという感じなんだが製作側の佐藤大がこれはボーイ・ミーツ・ガールなんですというのを日経キャラクターズという雑誌で言っていた。
でなんとなく考えたのはそういう話をするときにバックグラウンドの設定が主人公側の心に深くコミットすると観ている視聴者はその設定に引かれて本筋を見失うというそんな事を考えた。





『超時空要塞マクロス』という三角関係ないわゆる月9なネタを壮大な宇宙戦争を背景にやったアニメがあるがアレはそのバックグラウンドのいわゆるゼントラーディとか監察軍とか統合なんちゃらとかそういうのは殆ど状況として関わっているだけで彼らの心の動きにはあまり関係が無い(状況として関係はしてくるが)おもしろいのはエウレカセブンはレントンとエウレカの心の動きやホランドとタルホの関係は状況とそのおかれた環境がコミットしてくるとことでその世界の在り様が関わっていることからその世界の全体ともリンクしてしまいボーイ・ミーツ・ガールのお話に枝葉がついてそちらの方に気を取られる構造になってんじゃないか?ということを感じた。

『エヴァンゲリオン』はその世界全てが主人公シンジの心象であるという関係をもっていたためあれほどの反響を受けたが(いわゆるセカイ系?というやつらしい)ボーイ・ミーツ・ガールという単純な構造とレントンの観た、もしくは感じている世界を描くことによってエウレカとの関係性を描くということがその心象世界とリンクして捉えられているということだろう。

『エヴァ』以降視聴者は与えられた情報を過度に解釈しいわゆる神の視点でドラマを捉えようとするがその物語を構成している中の人達がその世界の構築者であって明快でないものを意味ありげにだすと必要以上にそれに意味を考え解らないときに拒否反応が出るのか?という気がする。そこで『エヴァ』をなぞっているという思いが出てくる事によりエヴァを語っていたほどには語ることも無いという空気があるのかという。

基本的にはよくやっていると思う。ただ細部の詰めが枝葉にとられる構造だったことが物語をそっちのほうへの同列として語られることもしくは語られないことに作用しているのかもしれない。まだ話数は残っているしレントンとエウレカのお話という芯がどのように決着を見るのかという興味があるのでおいらは引き続き注視していくことにする。
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by tonbori-dr | 2005-12-06 00:14 | cartoon