只今終了「ボーリング・フォー・コロンバイン」吹き替え版

先ほど終了した。
山ちゃんこと山寺宏一を初めとする吹き替えだけど英語音声を完全に消さずよくドキュメンタリーで吹き替えるスタイルを踏襲しているかのようにはしている。
但し芝居しているって感じは拭えないので拒否反応を示す人もいるかもしれないが、個人的にはそういう違和感を覚えつつもコレはありなんじゃないかと。
何故なら「これからは英語!」とかやはり「原語で観ないと!」といっても字幕を目で追うより言葉が音声として入ってくるほうが理解しやすい。だからこそ吹き替えというのもありなんじゃないかと考えた次第。







で感想は前に本店に書いたけれどそれをベースに改訂でもう一度再掲載


カンヌ映画祭で大絶賛を受け、審査委員長のデビッド・「ツインピークス」・リンチが特別賞を設けた『ボーリング・フォー・コロンバイン』。しかも数々の映画祭でも絶賛されとうとうアカデミー賞ドキュメンタリー映画部門でオスカーを受けその壇上で「ブッシュは恥を知れ」とぶち上げ今まさに『華氏911』で話題なマイケル・ムーア監督作品。
さて白状しよう、tonbori堂はガンマニアである(^^;「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」とそれを金科玉条とまでは言わないけれど無邪気に信じていた人でした(苦笑)しかし今回のムーアのこの映画でそれは図らずも証明されたとも言える。ただそれが聖書の聖なる言葉のごとくふるまうがのような人たちが圧力団体(全米ライフル協会NRA)を運営しているとなるとそりゃとんでもないことだ。個人の権利を声高に叫ぶ人たちがその権利を抑えようとする者たちに闘うのに銃を持ち出せば相手も銃を持ち出す、そしてそれは延々と続くことになる。そんな神経症的で攻撃的で恐怖に支配されたアメリカで銃を野放しにするのは果たしていいのだろうか?という事をこの映画ではあれこれ周辺への取材や突撃アポなしでのチャールトン・ヘストン(今は前NRA会長)へのインタビュー。もっともそれを取り上げるきっかけはタイトルロールに入っているコロンバイン高校での2人の少年達の銃乱射事件だったのだがそれが彼の故郷であるフリントであった6歳の少年が6歳の少女を射殺した事件へ比重が移っていく。そのあたりは彼の原点となる貧者と富める者たちとの軋轢やそれが抱える社会問題への追求にも関わっているためそこが深く掘り下げられる。何処の国でも抱えている深刻な問題だが実は恐怖に支配された支配層(WASP)と被支配層(奴隷時代につれて来られた黒人やそれ以外にもヒスパニック、ホワイトトラッシュ)に恐怖を感じている現実を提示する。そして決定的な恐怖が9.11。これは9.11へのアンサーとなる事が9・11が起こった瞬間に決まった。そして恐怖は今も彼らを捉えている。実はムーアの言う事に100%賛成!万歳とは言えないとこがある。ムーアは独善的な部分もあるし欠点もある。問題を提起するだけであとは見る人に委ねるようにしながらもある答えに結びつくようにしているところはそうだ。(それをプロパガンダとも言う)だってマリリン・マンソンがクレバーで非常に落ち着いて語るシーンがありその後彼はアメリカの大手スーパーチェーンの本部へコロンバインで銃撃を受け障害が残った少年達を引き連れ銃弾の販売を止めるように訴えるのだがそれに対しスーパー側は翌日に段階的に取りやめると発表するそしてチャールトン・ヘストン(アメリカを代表する俳優でNRA会長)に突撃インタビューを試み、彼にインタビューをするがそれは全てある意図を持って行われたのは間違いない。しかしアメリカのメディアだって結局は同じ事をもっとスマートに人々が気が付くまもなくある方向にもっていくようにしていることも我々は知ることが出きる。そんな状況で言いたいことを言っているムーアみたいなヤツが居てもいいんじゃないかと。そこで提示される情報をいろんなところから分析し判断することがメディアリテラシーってもんだろうしそれが出来ないでただムーア賛成ブッシュ悪と言うだけな結論を導き出すならやはりそれは彼の思惑にのっただけと言う事になる。だからこそ考えるということの重要性をことさらに思いおこさせる映画だった。私はこう思う彼のような男が入るからこそアメリカは自由の国なんだと。もし彼が創作活動を制限されることがあればそのときは本当の恐怖が始まるときだろうとも思う。しかしだ彼もまたアメリカ人であり自らの正義を通すためにありとあらゆる手段を使うことにには間違いない。

最後に私にこの映画を(劇場で)見ることを勧めてくれた友人Mr.MONKY-Fに感謝!
[PR]

by tonbori-dr | 2004-09-16 23:48 | column@Movie